迷走東大生ブログ

起業とかビジネスとかフリーランスとか。意識高い系なブログです。

プロフィール書きました

ふっくー

ふっくーのプロフィール

 

 

 

 

簡単な経歴

名前:ふっくー

理由は苗字が福嶋だからです。

 

変化を拒む灰色の家庭で育ち、幼稚園に入る前から習い事漬けの日々。

当然の事ながら運動神経はどん底。しかし勉強だけは習い事で先取りしていたので近所の奥様方から「神童」と呼ばれる。

同級生と遊んだ経験がほとんどないまま小学校へ。

 

小学校に入ってからは習い事がさらに増え、一番多い時は一週間で10種類に。

もはやいじめを受けるべくしていじめを受ける。先生に相談したが見て見ぬふり。

小5からは親の言われるがままに塾に入り、言われるがままに勉強し、中高一貫の男子校である聖光学院に入学。

 

中学生になってからは習い事がなくなり、ひたすら音ゲーとアニメで時間を潰す典型的なオタクに。成績はだいたい220人中200位。

高2の終わりころから周りに合わせるように受験勉強。勉強の方針を立てようともせず、ひたすら得意なはずの数学に打ち込み、対策が必要なはずの英語からは逃げ続ける。当然のごとく東大は不合格。

ここで初めて「自分の行動が自分に返ってくるんだ」と認識する。

 

浪人時代、今まで関わってこなかった様々な境遇の人と共に勉強し、「自分の人生には何もない」と痛感。

自分を変えたいという思いがありつつも勉強をしなければならない状況で、思いだけが募っていく。

しっかりと勉強方針を立てて対策をした結果、無事東大に合格。

 

大学生となった今、自分の人生に足りないものを必死に補いつつ、やりたいことを求めてひたすら迷走中。

 

 

幼稚園までと、僕を形作った家庭

幼少期の異常な環境

僕は神奈川県のそこそこ裕福な家庭で生まれました。

2、3歳くらいの頃にはすでに英語公文ピアノスイミングボーイスカウトをしていた記憶があり、もう人生のスタート地点から遊ぶ時間なんてほとんどありませんでした。

当然すべて僕がやりたくて始めたことではありません。今思えば地獄ですね。

でも当時はそれが当たり前の人生なんだと思っていました。

 

近所の上級生に「遊んでもらう」

幼稚園くらいの僕は、中高と比べたらよく「友達」と遊んでいました。

でも、僕の所属していたグループは全員が年上なんです。

当然話が合いません。近所の子供が作った仲良しグループに、なぜか年下の僕がくっついていました。

僕は小さい頃から「神童」なんて近所で呼ばれていた(らしい)ので、どうせ年上グループの母親たちが子供に「福嶋くんとは仲良くしておきなさい!」とか言っていたのでしょうね。

 

変化を拒む家

うちの家庭を一言で表せば「変化を拒む」です。

今の僕が一番嫌いな言葉です。

我が家では3年前のレシートが平気で見えるところに落ちていたりします。10年くらい前に買ったおもちゃの空き箱が放置されていて、それを誰も片付けようとしません。

別にゴミ屋敷ってわけじゃないですよ笑

 

ちなみに今の僕の部屋にはそんなものはありません。捨てることを禁止されているもの以外は、僕の部屋のものはすべて頻繁に使うものです。

普通はゴミを捨てるって褒められることだと思うんですけどね。

リビングにあるレシートとかチラシとかテキスト(これは僕が3歳くらいの頃のピアノのテキストですね!)はあえて放置してます。なんだか面白いので。

 

基本的にうちの両親は変化とか行動とかを全否定してきます。

あなたも何か新しいことに挑戦しようとしたら「危ないからやめておきなさい!」と言われたことありませんか?

それの超強化版だと思ってください。生きづらいですよ。

 

小学校時代

小学生になって習い事の量がさらに増えました。小4が一番多かったかな?

その頃はさすがに「俺って異常なんじゃね?」とうっすら気付いてました。

何となく習い事の数を数えてみたら、その数なんと10種類!!

ちなみに一週間は7日しかありませんよ、僕の場合でも。

スイミングが終わってスクールから出たら親が車で待っててそのまま習字に行ってたことはよく覚えてます笑

放課後に同級生と遊ぶとか激レアでしたね。一年あたり何回あったかな?

 

そんな感じで放課後に遊ぶ暇もなく、運動神経も悪いからドッジボールでは隅っこで避ける役に徹し、その上勉強だけはできるからプライドは高い。

こういう奴がどんなポジションに位置するか、だいたい分かりますよね。

いじめにあいました。

正確に言うと小2〜小5あたりは常にそういう位置にいたので「いじめにあった」というより「いじめにあい続けていた」ですが。

最初の頃に一回だけ先生に相談したことがありますが、もちろん先生は助けてくれません。この時あたりから僕は「みんな自分のことにしか興味ないんだ」と感じていました。

僕はいじめを自分で乗り越えるために色々と試行錯誤しました。ほとんど失敗しましたけどね。

下ネタを言っていれば人気者になれるかと思って下ネタばかり言い続けていた時期もありました。その頃はもう同学年どころか下級生からも廊下で悪口言われてましたね。それは下ネタのせいで悪化したんですが笑

最終的には、自分の欠点を強みに変えることで一転して人気者になりました。

僕は基本的に「ナルシスト」と言われていましたが、それを狩野英孝みたいに笑いに変えたんです。もう自分は生まれ変わったんだと勝手に思ってました。

今思えばただのピエロですけど。いじめられるよりはマシか。

 

小5あたりから塾に入りました。N能研ですね。Nバッグ背負ってました。

そしてそこでもいじめにあいました。いじめっ子の嗅覚は鋭くて、同じ小学生なのに的確に獲物を見極めるんですね。人事か。

塾では単純に「弱そうだから」くらいの理由でいじめられていたので、学校と同じ対処法は使えませんでした。

弁当の中にシャー芯を細かくして入れられたのが印象に残ってます。それが先生にバレたおかげで少しいじめも軽減しましたからね。

 

行きたい中学とかなかったので、親が何となく決めた聖光学院を目指すことにしました。理由は小田和正の母校だから。何じゃそりゃ。

その頃はまだ「自分の人生を自分で決める」という概念がなかったので、進路とか夢とかを考える以前の段階でしたね。

「親の言うことを聞きたくない」という気持ちはあったのですが、その先がないので、勉強サボってもやることがなくひたすらネット見てました。

合格した後も「やっと自由になった! 遊びまくるぞ!!」となったかと思いきやその日の夜にはやることがなくなりました。

 

もはや自分の人生ではありませんでした。

 

 

中学、高校時代

ここは正直ほとんど記憶がありません。特に受験前までは。

自分の目標(親から決められたものだけど)がなくなり、やりたいこともほとんどない僕はひたすら宿題とゲームとアニメで時間をつぶしてました。あとたまに2chまとめサイト。まあ、オタクです。

僕の周りではなぜかたくさんのオタク知識を知っていることがステータスとなっていたので、僕もひたすらアニメ見ました。ライトノベル(女の子の絵が描いてある感じの小説です)買って読んでました。

アニメは酷いときで週21種類。内容ごっちゃになります。楽しむどころじゃない。

キャラの名前とか絶対覚えられませんからね笑

ラノベも大体2冊は常にポケットに携帯してました。4冊くらいになると鎧みたいになるので強くなった気がします。内ポケット2つとズボンのポケット2つに入れます。

心底どうでもいいですね笑

もちろんそんなことをしているのは僕の周りの数人だけなので、他の奴らとは距離ができてきます。でも僕は「こいつらは世の中の裏の知識を知らない情弱なんだな」と思って、ひたすらオタク情報集めに精を出していました。

 

受験勉強の話をすると、現役時代の最大の敗因は「分析をしなかった」ことです。

ただ現実から目を背けていただけなのに、「分析する時間があるなら勉強したほうがいい」という謎理論を振りかざし、得意な数学ばかりやってました。苦手な英語は後回し。理科はそこそこ。それ以外はほぼノー勉。

苦手分野を伸ばすほうが効率がいいってのは受験では常識なんですけどね・・・。

それを指摘してくれる仲間もいませんでした。類は友を呼びます。

 

そんなお花畑な勉強法を続けた結果、普通に東大に落ちました

今思えば当然なんですが、当時は衝撃でしたね。

目の前が真っ白になるというか。

 

こんな経験をしたくない人は以下の記事を読んでみてください。僕も現役時代にこういう記事を読んでたらなあ。

fukku.hatenablog.jp

 

 

初めての挫折、そして浪人時代

僕は挫折を今まで経験してこなかった(というか、挑戦そのものをほとんどしなかったので失敗しようがありません)ので、この経験は自分の価値観を大きく変えました。

「そうか。自分の行動が人生を変えることがあるのか」

と気づきました。

 

今までの自分の人生はまるで動く歩道に乗っているような、なんとなく生きていてもなんとかなる人生でした。

だから、それが当たり前に続くものだと思っていた。

 

合格番号を掲載しているページに自分の名前がなかった時、悲しいとか悔しいとかより困惑したんです。

「えっ、なに言ってんの?」

みたいな。

 

そこでようやく「自分の人生」という当たり前の概念が理解できたんですね。

普通の人が人生の最初に気づくようなことを、僕は18歳でようやく気づきました。

僕はその時に生まれたと言っても過言ではありません。僕はまだ2歳です。

 

冗談で言っているのではなく、普通の人間が普通に辿るはずの人生を、僕は18歳からやり直している感覚があります。

「すべての人に好かれるのは無理」みたいな幼稚園児でも知ってるようなことを、僕は19歳で知りました。

今の僕と昔の僕はもう完全に別人です。思考も趣味も真逆です。

だからこのプロフィールは、「僕のプロフィール」としては未完成どころか、始まったばかりなんです。

 

 

僕は浪人して東進ハイスクールに入りました。これを聞くとほぼ必ず「東進って浪人用のもやってるんだ」と言われますが、やってます。ただ生徒数は少ない。

うちの校舎は生徒数が30人くらいだったので、S予備校みたいに「東大特進コース」なんてものは作れませんでした。だから成績がいい(≠頭がいい)人から悪い人まで全員が同じ場所で勉強してました。

これはすごく新鮮でしたね。自分の人生には何もないって本当に思いました。

「中高で何してたの?」って聞かれても答えられなかったもん。「学校行って宿題やってアニメ見てラノベ読んで寝てたよ」としか言えない。

自発的にやったことが何ひとつありませんでした。それがすごく情けなくて、でも今は浪人してるから勉強に集中しなくちゃって思って、もう大学生になりたくてたまりませんでした。

 

だから2浪だけは絶対に避けるぞ! という気持ちで全力で分析&努力したら割とあっさり受かりました。ぶっちゃけ最後の方は暇で、起業家の本とか読んでました。

やっぱり周りの落ちたやつは総じて分析が下手、もしくは皆無でした。合格と不合格の境目はここです。断言。

「みなさんどの問題集がオススメですか?」なんて聞いてる人は今すぐやめましょう。一回過去問を解いてみて、自分が何をどれくらい勉強すればいいか分析。数ヶ月したらまた過去問(それか模試)を解いて成果を確認し、次につなげていく。これしかありません。

普通の問題解決と一緒です。だって勉強ってそんな大したものじゃないし。

 

勉強からの解放。大学生に

これが今ですね。

ようやく自分の人生を生き始めたって感じがします。やっぱり浪人中はしがらみ多いですからね。

これからは今までの自分に足りなかった経験を補い、自分の意見を積極的に発信し、本当にやりたいことを見つけるために色々と挑戦していきたいと思います。

大学では運動部に入りました。中高はオーケストラ部(弦楽器なので体力0)だったので正直超つらいです。でも徐々に体力もつき、みるみる痩せて三段腹も無くなりました!

あと、なるべく積極的に人と関わろうと思っています。これまでも起業家様やベンチャー企業の社長様とお話しさせてもらって、すごくためになるお話をたくさん聞かせていただきました!

 

あとは・・・できれば独立したいです。親に養ってもらっている限りは親の意見に左右されちゃいますからね。

ネットビジネスにはどんどん手を出していきたいです! あとバイトもそこそこ!

なんとか大学卒業するまでに月30万稼げるようになりたいなあ。

 

こんな感じで、今はもう昔と違ってやりたいことだらけです!

 

 

まだまだ人生迷走中!!